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1662年黒田藩三代目藩主光元が伊万里の陶工を招いて筑豊最初の窯として開いたのが始まり。飛鉋(とびかんな)刷毛目(はけめ)櫛描(くしがき)・指描(ゆびかき)、流し掛け、打ち掛けなど、小石原独特の手法は伝統的工芸品に指定されている。
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京焼には陶器も磁器もあり器種も豊富で、1200年の伝統を受け継ぎ優雅な作品である。技法も、染付・色絵・錦手・天目等実に多彩である。清水焼を有名にしたのは、野々村仁清と尾形乾山の二人で、色絵陶工、加飾陶器を開発、人気を呼んだ。
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愛知県瀬戸市およびその周辺で作られる陶磁器の総称。鎌倉時代に中国より陶法が伝えられ、日本陶器の起源となり、灰釉(はいぐすり)・飴釉(あめぐすり)が発明され本格的に窯業が始まり、日本の陶磁史で中心的役割をはたしてきました。
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洋絵具を用いた、美の世界緑、黄、赤、紫、紺青の五彩での絵付けが特徴で、約300年前の古九谷に代表される。 150年くらい前より、洋絵具を用い、美の世界を創作するようになり、時代の流れとともに変化を続けている。
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約400年前、毛利輝元が朝鮮から連れてきた二人の陶工が窯を築いたのが始まり。茶陶として人気があり、お茶をたてると肌色が変化し「萩の七化け」ともいわれている。土に含まれる成分が変化するのが茶人に好まれた、ともいわれている。
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ニシン鉢で有名な会津本郷焼は400年の歴史を持ち、東北最古を誇る。17の窯元が、磁器・陶器を生産している。中でも、飴釉と白釉が輝くさまは、民芸陶器の美しさを感じさせる。
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美濃焼が始まったのは平安時代後期といわれ瀬戸焼とともに古くからの窯場であった。黄瀬戸、志野瀬戸、瀬戸黒、織部など美濃で焼かれた茶陶は高い評価を得ている。
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豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、連れ帰った陶工により始められており、茶道においては「1楽2萩3唐津」と呼ばれるほどわび茶碗として定着している。蹴ろくろや連房式登り窯の伝統は今も受け継がれている。
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約1300年の伝統を誇る日本最古の産地であり、屋根瓦として焼かれたのが始まりといわれている。釉薬を使わず、土味を生かした素朴な風合いが特徴である。「たぬきの置物」といえば信楽焼と、有名である。
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大正13年に濱田庄司が益子に定住し民芸的な作品により益子焼を全国的に有名にした。民芸陶芸の拠点であったが、現在では地元以外からも作家が集まり創造性の高い作品を作っている。
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備前焼は1000年以上の歴史をもつ古窯のひとつである。釉薬を一切使わず、陶土と松割木を燃料にした炎から誕生し、自然美に満ちている。多用な窯変は、土と炎が織り成す芸術品である。焼物好きにはたまらない魅力である。
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白磁に透き通った藍で描かれた模様や、ぼってりとした手ごたえが素朴さと懐かしさを感じさせる。江戸時代、土地に産出する砥石くずを原料に器を作り、220余年今も伝統は生かされている。
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歴史は古く、平安時代末期より約900年に及び、奈良朝時代に朝鮮半島からきた「須恵器」の技術を受け継いで始まった。中国の影響を受けた朱泥急須は常滑焼の代表格である。
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約400年前、朝鮮の陶工 李参平が、有田の泉山に白磁鉱を見つけ窯を築いたのが有田焼の始まりで、磁器文化の始まりといわれている。白く透き通る地肌に、華やかで繊細な絵付けが特徴である。
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笠間焼は「特徴がないのが特徴」と言われ、柔軟性と包擁力と自由な発想から生まれている。笠間焼と名称が統一されたのは明治以降で、それまでは集落の名をとり、箱田焼等地名で呼ばれていた。約230年の歴史があり田中友三郎により笠間焼と命名された。
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山形県の西南、千歳山のふもとに窯里があり、約300年の歴史をもつ。幕末から藩の保護を失い衰退したが、戦後青龍窯三代目丹羽龍之介が再興させた。現在は四代目丹羽良知作「残雪」は白釉が墨の濃淡のように見えて人気が高い。
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日本六古窯のひとつで、1000年を越える歴史をもちます。赤津地域のみに産出する良質の陶土、原料に恵まれ、多くの陶工が生まれ育っている。黄瀬戸、志野、織部はその優雅な美しさから赤津焼を代表する釉薬として用いられている。